ちょっと興味をもって調べたこと「お遍路」
30を過ぎると親類とか近しい人が亡くなるという悲しみの現実にぶち当たる事もあり、私もつい先だって、かなり親しくしていたいとこを病気で亡くしました。
ずいぶんあっていなかったけれど、大学の時代などはアパートが近かったので食事したり、飲んだくれたりしたものでした。
通夜に駆けつけるといとこではないいとこ、変わり果てた姿のいとこがいて涙がどこから出てくるのかわからないほどに泣いたこと、病気と知らず知らせてくれるなといったいとこの気持ちを思い、暫く死ぬってどういうことなんだと、柄にも合わず考えたものです。
そのいとこの母が、お遍路さんに行くという話を聞いたのです。
お遍路って四国八十八カ所巡り?とか、色々なお寺さんをめぐる修業的なものとなんとなく理解しているけれど実際、よくわからず、一人っ子を亡くしたいとこの母を思い、何となく、お遍路さんについて調べてみたのでした。
お遍路、四国八十八カ所巡りは弘法大師と縁が深い
四国八十八カ所というのはその昔、総行程1400km!というとんでもない長さの旅だったそうです。
今でこそ電車等もありますが、当時はすべてにおいて徒歩、かなりの修業となったようです。
昔は心と体を磨き、88あるという煩悩を一つずつ取り除き、この地球、大自然の中で活かしてもらっている喜びを知ること、自分を見つめ直す事として行われていた修業に近いものでした。
現在でもいとこの母の様に、息子を早くに亡くした悲しみを背負い、この先どう生きるのか、自分探しに行く方は多いと思いますが、健康のために行く方も、またストレスを解消したいと巡る方もいるようです。
始まりは1200年ほど前、弘法大師42歳の頃、当時の人たちに降りかかる災難を除こうと開かれた四国霊場でした。
高弟が遍歴したことで霊場めぐり始まったといわれています。
人の煩悩は88あり、霊場を八十八カ所巡る事で煩悩がなくなり願いがかなうということがいわれています。
大願成就にはどのようなめぐりが必要なのか
阿波で脚固め、土佐で心を落ち着け、伊予で信に入り、讃岐で所願城主、高野山奥の院の参詣において大願成就するとされています。
阿波の脚固めは発心の道場23ヵ寺あり、仏教に帰依しようとする心を起こすことを意味します。
土佐で心を落ち着ける、ここは修業の道場といわれ、16ヵ寺を巡ります。
修業といえば難行苦行がイメージされますが、弘法大師の修業は心身共に仏道を身に着け善行を積むという精神的な修業が多い事を意味しているといいます。
伊予で信に入る、菩薩の道場は26ヵ寺を巡ります。
菩薩は道、知、覚であるとされ、煩悩を断ち切り、不生不滅の理を悟り得ることができるのが仏果とされています。
発心から修業を経てここにやっとたどり着くという意味を持っています。
讃岐で所願成就、涅槃の道場は23ヵ寺です。
香川県には弘法大師ゆかりのお寺さんが多数あるそうで、様々な苦をたって一切の煩悩を滅し、不生不滅、解脱の境地に至る、この讃岐の地で四国八十八カ所、お遍路は結願いとなるのです。
電車でお遍路めぐりしてもいいかも
私の母もお遍路さんに行きたいとしょっちゅう言っていましたが、足の調子がよくないので、歩いてということは無理かもしれませんが、電車で行くという方も多いようです。
精神的な鍛練、気持ちを整えるという意味があるのなら、電車で行くということでもいいかと感じます。
いつか母と一緒に、この時ばかりは電車で巡ってあげようかなと思う私です。
ちなみに、いとこの母はいとこと同じ病気で亡くなった同じ病院で知り合ったお友達とお遍路さんをするそうです。
気持が少しでも落ち着くといいと思っています。